子ども好きのインド人
「インド人は子どもにやさしい」と、話には聞いていた。が、まさかこれほどまでとは思わなかった。
下の娘(2才4カ月)を連れて道を歩いていると、文字通り老いも若きも、男も女も、富める者も貧しき者も、かなりの確率で近づいてきて、娘のほっぺたをムギュッとつまみ、タミル語で「○×△□!」と言ってニコニコッと笑う。この「ムギュッ」というのが、日本ではまず絶対にお目にかからない種類の親愛の情の示し方で、最初は本当に驚いた(だって、日本ではありえないほど汚い手で躊躇なく触ってくる人も少なくないのだ)。娘もドン引きで、顔には明らかに恐怖の色が浮かんでいるのに、当のインド人はまったくお構いなし。どんなに顔をそむけても、「あれ、そっぽ向かれちゃった〜、ねぇ、こっち向いてよ〜、お願い〜、あ〜向いてくれないの〜?どうして〜?」(たぶん)とかなりしつこい。どうやら住民の多数が、子どもとの相互愛に絶対の自信を持っているものと見受けられる。
インドのおやつ
うちの近所には、Grand Sweets & Snacksという大変評判の良いお菓子屋がある。ショーケースにはこの通り、目にも鮮やかなお菓子がぎっしり。
大雨に停電
チェンナイは既に雨季。毎日のように雨が降る。いくぶん涼しくなったのは良いが、雨水を流す側溝が整備されていないため、雨が降るたびに、町は巨大な水たまりでいっぱいになる。気に入りのパン屋Wholistic Breadsでは、店の前にネッシーでも出そうな湖ができあがり、店に入るにはうんと迂回しなければならないし、Chamiersのカフェでも、建物の周囲がすべて池と化し、そこはさすがに高級店、親切に踏み石が並べてあるのだが、残念ながら石と石の間隔が広すぎて、妻とふたり、それぞれ子どもを抱きかかえながら、ほとんど蛙のようにピョンピョン飛び跳ねて入店しなければならなかった。
しかし、こんな風にまごまごと動じているのは、経験の浅い外国人だからであって、地元の人を眺めていると、バイクも自転車も平気で池に突っ込んでいくし、サリー姿の女性が裸足のまま悠然と沼のような水たまりを横断していたりする。そうか、裸足なら靴が濡れずに済むのか、とは目から鱗だが、下水もごみの収集もいい加減な当地では、水たまりの水質が恐ろしく、とても真似る気にはなれない。
ヒンズー教のお寺のお祭り
上階に住む親切な女子高生ヤミニが、「今週はお寺でお祭りをやっているから、よかったら一緒に行きますか?」と誘ってくれた。近所のトップ校に通う優秀なヤミニは、いつも「うちにいるとほんとに退屈」と言いながら、勉強の合間にふらりと我が家にやって来て、中上流の若者の視点からインドのあれこれを教えてくれる。
「普段はお寺なんて全然行かないけど、お祭りのときに参拝するのは結構好き」とヤミニ。土曜の朝、みんなで近所のお寺にのんびりと繰り出す。 まずは、こんな風に、お寺の入り口で靴を脱ぐところから始まる。まったく予測していなかったので、靴下まで履いてきてしまって大失敗。日本のお寺とは違い、剥き出しの地面を歩くことになるので、足の裏は真っ黒。左にいるのがヤミニ。
インドの反原発デモ、武力による弾圧、そして在宅勤務
ここのところ、南国インドを呑気にたのしんでいるようなエントリーばかりアップしているが、実はここタミルナードゥ州では、南部のクダンクラム地区に新たに建設された原子力発電所の稼働をめぐって、地元住民の抗議活動が歴史的な強まりを見せており、9月以降、警察が武力行使で弾圧するという深刻な状況が続いている。
当初の予定では、昨年中に稼働する予定だったクダンクラム原発だが、何と我が福島の大惨事の影響で、地元住民による反対運動が広がり、稼働が遅れているらしい。しかし、インド政府は、経済政策の一環として、是が非でも稼働させるという強硬姿勢を取っている模様で、昨年から歴史的な反対運動が続いているにも関わらず、ついに9月には武力行使によって一人が死亡、数百人が身柄を拘束され、反対運動の拠点となった村はライフラインを破壊されるという事態にまで至った。元大学教授である反対運動のリーダーは、治安妨害罪などの重罪を問われているという。
みんなともに生きるのだ
我が家の大家さんプラサドは、すばらしい人物。さすがインドの物件だけあって、ひどい時は毎日のようにトラブルが発生する(昨日はエアコンから土砂降りのような水漏れ、今日は食卓の椅子のひとつが着席中に崩壊、その次はインターネットの接続が我慢の限界を超える不調…といった具合)。そのたびに、電話をすると、「わかった」と言い、大抵はその日か翌日のうちに見に来てくれる(結果としてトラブルが解決するかどうかは別問題で、崩壊した椅子は3週間経った今もそのままだけれど)。
いつも超然としていて、風格さえ感じさせる初老の紳士。お礼を言うと、いつも決まって「君たちは僕のゲストだ。僕が助けなければ、君たちは一体どうなってしまうんだ!?」と大げさなセリフを返してくれる。つくづく良い大家さんに恵まれたと思う。
毎日食べたいインド料理
それが蓋を開ければ、朝も昼も夕もインド料理を作り続ける日々。なぜってそれは、インド料理が驚くほどおいしいから。そして、インド料理をおいしく作るのに適した食材ばかりが安く、洋風のものや和風のものを作るのに必要な食材は馬鹿馬鹿しいほど高価で(たとえばオリーブ油は、マスタード油やピーナッツ油の3倍〜5倍くらいの値段)、その割に質は低いからだ。
もちろん、チリはまったく入れない。辛くすると子どもたちが食べられないし、自分たちも毎日辛いものばかりでは胃腸がつらい。プラサドの奥さんの「辛くないインド料理」を食べてから、「別に辛くしなくてもいいんだ」という当たり前の事実に気づいた。インド人の大人でも辛いものが苦手な人は割にいるらしく、子どもも3歳、4歳、5歳を過ぎたくらいから、少しずつ辛いものを食べ始めるという感じらしい(離乳食もカレーなの?という自分の質問に対する友人の答え)。
辛くないインド料理。これは画期的で、スパイスの深い味わいと充実感は毎日食べても飽きないし、辛くないから胃腸にも負担感はないし、しかも作るのは至極簡単。結果、毎食毎食、嬉々としてインド料理を作り続ける日々となっている。