アメリカに永住するという選択
アメリカに住んでいると、当たり前かもしれないけれど、「一時的にアメリカに滞在している人」よりも「アメリカに永住する人」に遭遇する確率の方が圧倒的に高い。アメリカ人はもちろんのこと、外国人もそう。
つい2か月前までお隣さんだったイラン人の一家は(最高に良い家族だったのに、ロサンゼルスに引っ越してしまって本当にさみしい)、ご主人が博士、奥さんも水質工学(だったかな)の修士というエリート一家だったけれど、祖国に帰るという選択は微塵もないようだった。祖国には親戚もいるし、なつかしさがまったくないわけではないと思うけれど、僕たちの率直な質問に対して、いかに「帰る」という選択がありえないかを、様々な面から語ってくれた。キャリアの面からも、信条の自由の面からも、子どもの教育の面からも、もはや彼らは「帰れない」のだった。4歳と2歳の、ふたりの愛らしい男の子たちは、既にペルシア語と英語のバイリンガル。僕にとっては「かわいいイランの男の子」だけれど、そのうち二人ともアメリカ人になってしまうんだなぁ・・・と思うと、何だかちょっと切ない。
ニナのプログラム、始動
長男Kの新しい運動療法、Neurological Reorganizationがスタートした。オレゴンから来た療法士ニナと、オークランドの丘の上にある桁外れな豪邸で会う。全米を飛び回るニナは、3か月おきにカリフォルニアを訪れ、友人の自宅であるこの家で、3日間にわたってこの地区の子どもたちを診るらしい。
ニナは50歳代の女性。二人の障害児の母として、20年以上も前に、当時7歳と3歳だった子どもたちとこの療法に取り組み、ついには療法士になってしまったという経歴の持ち主。二人の子どもたちは、今は成人し、何とごく普通の社会人として自立した生活を送っているという。
初回の診療は、親の問診、様々なテスト、それに基づく運動プログラムの説明とメソッドの原理の解説など、実に3時間半の長丁場。メソッドが主な対象としているのは、愛着障害、自閉症スペクトラム、PTSD、ADHD、双極性障害、うつ、ディスレクシア、脳性麻痺、強迫性障害、辺縁系激怒症候群(???)など多岐にわたり、それぞれに合わせた運動プログラムを毎日約2年間続けることで、改善を促す。
32時間プロジェクト終了
我が公共政策大学院の恒例「32時間プロジェクト」が終わった。60人くらいの同級生が、朝の10時にくじ引きで「題材」を割りふられ、何の前提知識もないところから、翌日の夕方5時までに政策提言書をまとめるというもの。「題材」は、わずか一文。自分が引いたのは、「歴史的保全の規制は、より一般的な土地利用を操作しようとする自己中心的・イデオロギー的集団の露骨な企ての一例だ」。こういう投書がなされたという仮定に基づき、問題の論点を洗い出し、行政官もしくは議員向けに分析を行う。
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Category : アメリカの大学院での日々
思い出のラヴェルの家
久々に、ラヴェルのピアノ曲がなつかしくなって、CDに手を延ばした。色彩感ゆたかなラヴェルの曲はどれも相当好きだけれど、断然好きなのは『クープランの墓』。聴くたびに、どっと津波のように押し寄せる、忘れられない思い出があるから。
もう10年以上も前、大学生のときに、パリ郊外にあるラヴェルが住んでいた家を訪ねた。ひっそりとした何もないような界隈にあって、(たしか)目の前には、子ども付の若い美男美女が営む、幸福感漂うクレープ屋があった。今は美術館としてリニューアルしたらしいラヴェルの家は、当時はごく小規模に外部公開されていて、日に一度だけ、案内の女性の解説つきで中を見学することができた。
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Category : 北カリフォルニアでの日々
夢の世界
夜に見た夢の話ではなくて、現実の夢、というとまるで白昼夢のようだけれど、そうではなくて、「夢のようにすばらしい世界」の話。
今日の午後、授業の合間を縫って、シュタイナー教育の保育園Rose Schoolに見学に行った。この感激をどう表現すればいいだろう。ロケーションと建物の外観は(引っ越しまで考えたくらいなので)既に知っていたけれど、中に入るのはもちろん初めて。美しい丘に建つ小奇麗な家の玄関を開けると、目に飛び込んできたのは文字どおり桃源郷のような世界。
引っ越しモード
俄然、引っ越しモードになった。今住んでいるUCビレッジは、バークレーの北西にあって、家族連れの大学院生や研究員ばかりが1000世帯も住んでいるアパート群。恵まれた環境だし、何も文句はないのだけれど、単調なアパートが延々と立ち並び、どことなく新興住宅街を思わせる雰囲気がしっくり来ていなかった。周囲も、住宅街というよりは工場街なので、バークレーの街中とはだいぶ空気が異なる(そもそも住所はぎりぎりバークレー市を飛び越え、アルバニー市になっている)。
きっかけは、1月に遊びに行ったインディアンロックで、北東の丘のすばらしさを知ったこと。さらに、サンフランシスコのシュタイナー教育の保育園に子供を通わせている人たちと話をする機会があり、長男Kの現状について相談したところ(いまはサポートを受けて保育園に通っているが、秋からは幼稚園に通うのでとても心配云々)、「バークレーにローズスクールというシュタイナーの保育園があって、秋には幼稚園もオープンするらしいよ」と教えられたこと。さっそく見に行ったローズスクールは、インディアンロックよりも更に高い丘の上にあり、すぐ近くには名前のとおり広大なバラ園と鬱蒼とした林、そして見晴らしの良い丘から青い海を遠くに臨む抜群の環境にある。
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Category : 北カリフォルニアでの日々
インディアンロックと
インディアンレストラン
「バークレーにパワースポットがあるらしいよ」と、葉山からメールが届いた。そんな噂はこれまで聞いたこともなかった。ガイドブックにも載っていないのに、「やっぱり葉山はすごい」と改めて我が町の恵みに感謝しながら、さっそくその「インディアンロック」とやらに足を運んでみた。
地図で調べて見れば、うちからバスで10分足らずという近さ。真っ青な快晴の土曜日、まずはそのすぐそばにある、前から行きたいと思っていたインディアンレストラン「アジャンタ」へ。
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Category : 北カリフォルニアでの日々
快適な寝具を求めて
もともと根っからの「布団派」なので、今回のアメリカ滞在でもベッドは買うまいと心に決めていた。日本から船便で、我が家の家宝の敷布団と掛布団(値は張ったがすこぶる快適)をわざわざ送り、それで済ますつもりでいた。
しかし、やはりそうはいかなかった。絨毯ばりとは言え、畳とフローリングではまったく話が違い、床に布団を敷いて寝ていたら背中が痛くなってきてしまった。そこで、慌ててネット上の中古品売買で中古ベッドを立て続けに2つも買い、更には中古のソファベッドまで買い込み、「これで一安心」と思ったら、やはり安物のベッドというのはあまり快適ではなく、ソファベッドにいたっては実に悲惨な寝心地で、再び背中が痛くなってきてしまった。
不満を覚えつつも、アメリカでこの状況から脱出するのは容易ではない。何しろ、ベッド大国なのだ。日本ではごく一般的な、畳と布団の間に敷く、あの「薄いマットレス」というものがどこにも売っていない。しびれを切らした妻は、ついに「畳を2枚買う」と言い始め、「そんな重いものを買うのか・・・」とため息が出たけれど、ほかに代替案もないので、仕方なくダウンタウンにあるベトナム人経営の寝具屋さんに赴き、「TATAMIマットレス」を注文するところまでは行った。が、当然のごとく中国製で、(自分は気づかなかったけれど)化学処理のような異臭がしたのと、思いのほか硬くて寝心地が悪そうだったので、急きょキャンセルし、再び振り出しに戻るという不毛さ。
しかし、解決への糸口は意外なところから開けた。