2019.11.08 Friday

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2010.09.04 Saturday

大学院のアドミッションについて思うこと

早9月。授業も本格的に始まって、「いよいよこれからだなぁ」と思う一方、去年の今頃は出願を控えて、1ヶ月先が遠い未来に思えるような生活だったなぁ、と懐かしく思い出す。

小さな町役場の下っ端職員だった自分にとっては、アメリカの大学院への進学は、周囲(特に同僚)の誰からも驚かれる決断だった。自分自身も、実際のところ、こんなにキャリアから外れた自分が、どの程度大学院や奨学金に「拾って」もらえるものなのか、心もとないものがあった。

結果的には無事入学まで漕ぎつけることができて、それには多分に運の良さもあったと思うけれど、出願に際して自分が気をつけたことはただひとつ、「自分ならではのストーリーを描き出すこと」だった。そしてそれは、少なくとも奨学金や大学院の試験に関して言えば、正解だったと思う。それ一点で、通常ならばマイナス要因となるような、キャリアや専門知識の不足を補い、むしろプラス材料に変えることができた。

客観的に見て、自分の経歴はめちゃくちゃだった。フランスに1年間留学して、帰ってきて音楽関係の仕事を少しして、このままではいけないと思って大学院に入ってフランス文学を勉強したのだけれど、いろいろ思い悩んで留年してしまって、結局は再び舞台芸術関係の仕事をして、子どもが生まれて、都会暮らしと決別して、郊外に引っ越して、近所の町役場に転職したら、たまたま環境の部署に配属になって、気づいたら30代―いまだにこの一貫性のなさは、自分でも口に出すのが憚られるものがある。

でも、自分の中では、そのすべてに必然があったし、その過程からいろいろな学びを得ることができた、という個人的な思いがあった。自分の来歴を幸運に思っていたし、実際、こんな曲がりくねった道を通ってきたからこそ見えたもの、というのが確実にあったと信じている。そんな思いを、出願のエッセイに込めることに注意をそそいだ。考えようによっては、小さな町役場での勤務は、「地方自治の最前線での貴重な現場経験」と読み替えることもできるわけで(実際そうだった)、そんな来歴を前面に打ち出したことで、自分のエッセイはそれなりに印象に残るものに仕上がったと思う。

実際に入学してみて、周囲の同級生のプロフィールを聞くと、その方向性は間違っていなかったとの思いを強くする。UCバークレーはアメリカでは名の知れた難関校ではあるけれど、周りは決してエリートや優等生ばかりではない。名だたる名門校から入学してきた学生はごく一部。半数以上は(外国人の自分にとっては)「一応聞いたことはある」もしくは「聞いたこともない」ような大学の卒業生で、職歴についても、小規模なNPOや市役所の出身者が目立つ。つまりは、そんな「地味な」プロフィールでも十分なのだ。たぶん、その中から各々がどのような個人的かつ社会的な成長を遂げているかが重要なのであって、それをいかに効果的に、印象的にアピールできたかどうかが、大きく物を言うのだと思う。

よく、留学情報誌などには、周到な準備のためにありとあらゆる助言がなされていて、あたかも完璧な人間しか留学できないかのように書かれていたりするけれど、思うに、完璧な人間などそうはいなくて、大抵の人は何らかの「欠陥」や「不安材料」があって当然だと思う。自分の場合も、過去に留年していたり、交換留学先のフランスの成績が芳しくなかったり、ボランティア経験がほぼ皆無だったり、専門的なキャリアも知識もなかったり・・・と、挙げればきりがないほどの不安材料があったけれど、結果的にはそれらが致命傷になることはなかった。だから、これから大学院に出願しようとしている人で、こういったことを不安に思っている人がいたら、心配しないでと声を大にして言いたいし、むしろ自分をトータルに映し出していくことで、可能性を大きく広げることができる。

ただし!それは入学するまでの話で、いざ入学してしまえば、そこから先の勉強をどう乗り切るのかはその人次第。自分の目下の課題は、もっと英語の環境に慣れて、この中でより積極的にいろいろな活動を選択できる余裕を身につけること。はぁ、道のりは遠い・・・。少し長くなったけれど、もしこれから出願する人の参考になれば・・・。 

2019.11.08 Friday

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