2016.05.13 Friday

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2013.07.07 Sunday

「育てにくい子にはわけがある」

子どもの問題行動に悩んでいる人って、どのくらいの割合でいるのだろうか。たとえば、「何度言っても、言うことを聞かない」「人をぶったり噛んだりする」。さらに「友達となかよく遊べない」「何でもかんでも忘れる」「やる気がない」「物を乱暴に扱い、壊す」など。

―たぶん、大半の人は、これを見て「子どもって多かれ少なかれそういうものじゃないの?」と思える幸運な人だろう。でも、中には、「なぜか毎日子どもの問題行動に手を焼き」「怒ってばかり」「お小言ばかり」で自己嫌悪、という不幸な日々を送っている人もいるだろう。

作業療法士の第一人者である木村順さんのベストセラー『育てにくい子にはわけがある』は、こうした「育てにくい」子どもたちの抱えるトラブルに光を当てた見事な本だ。
昨今話題になった「キレやすい子」しかり、知的には問題ないのに、生活面・社会面で問題を抱えてしまう子というのが一定の割合でいる。学校の先生たちからも、近所の親からも、時には祖父母からも、「両親のしつけがなっていない」「もっと愛情をかけてやればいいのに」と思われる。もちろん、親の教育に明らかに問題があるケースも中にはあるかもしれないけれど、それ以上に、子ども自身が脳神経レベルでトラブルを抱え、感覚情報を正常に処理できていないことに起因するケースが多いことが分かってきているという。

たとえば、触覚が正常に働いていない場合、親が抱っこしようとしても、その子はそれを不快に感じる。こうした場合には、抱っこしても、「愛情のメッセージ」は子どもには伝わらない。さらに、ほかの子が少しぶつかってきただけで激怒したり、歯みがきや散髪を異常に嫌がったりする。また、平衡感覚や眼球運動がうまく機能していないと、揺れを極端に怖がったり、教科書の文字をきちんと目で追えなかったり、探し物が呆れるほど下手だったりする。苦手意識から消極的になり、「やる気のない子」と思われる。

これらの子は、普通の子とはまったく異なる感覚(不安、緊張、混沌など)の中に生きているため、「普通の子に言うように」言って聞かせるだけではうまく行かないという。普通の子であれば、常識的な親が適切な言葉をかけていれば、勝手に学び、成長していってくれるところ、これらの子の場合は、こうした感覚をつかさどる神経系の発達を刺激し、手助けしてやる必要がある。その内容はケースバイケースだが、中には簡単な運動療法で劇的に改善する場合も少なくないとのこと。

これは最近注目されるようになってきた「感覚統合」と呼ばれる分野の考え方だが、我が家の長男Kが2年前から取り組んでいるアメリカのneurological reorganizationという運動療法プログラムの考え方にもきわめて近い。実際に処方される「動き」(ほふく前進や空中回転など)も似ており、そうした運動の刺激によって感覚の発達をできるだけ促していく(それによる劇的な成長の実感については、過去の日記に書いたとおり―)。

木村さんの本ですばらしかったのは、こうした療法の存在をものすごく分かりやすく解説しているだけでなく、これらの「育てにくい子ども」を抱え、子育てに困惑・疲弊しているに違いない親たちへのまなざし。「問題児」を抱える親の多くは、概して、自分の子育てがうまく行かないことに悩み、周囲からは「もっと愛情を傾けて」「ゆったりとした気持ちで向き合ってあげて」とプレッシャーをかけられ、それでも解決しない混沌の中で、「親としての自己有能感」がズタズタになっているという。専門家は、療育施設にしろ、学校にしろ、こうした親の立場を理解し、「親指導」ではなく、「親支援」の見地からサポートをしていくべきである、という主張には、「何というありがたい時代だろう!」と思ってしまった。

何を隠そう、我が家はこれまで、ずっと上の子の子育てに苦しんできた。理由は必ずしも「発達障害のせい」ではない。ひたすら泣き続けたトラウマの新生児時代に始まり、連日繰り返されるかんしゃくや自傷行為、毎回が度を越す乱闘騒ぎになる歯みがきや外出の準備、いつ全裸になって暴れ始めるか分からない不安…。当時はまだ障害があるなんて知らなかったし、発達が著しく遅いことも特に心配していなかった。そんなことより、「ご機嫌をとろうとどれだけ工夫しても、どれだけ細心の注意を払っても、すぐにまたすべてが崩壊してしまう」→「24時間辛抱強く、注意深く居続けることはできない」→「1日の大半は殺伐とした時間が流れる」という徒労感とストレスの連鎖が大変だった。平和な瞬間だってそこかしこにあったはずなのに、全体としては、神経が疲れてばかりいた。「良い親になりたい」「なれるはず」と思っていたのに、まさかこんな結果になるとは思ってもみなかった。木村さんのいうとおり、親としての自己有能感はほぼゼロだった。

そんな長男Kも早小学校2年生。かんしゃくは減り、全裸で暴れることもほとんどなくなった(まったくなくなったと言えないところが辛いけれど)。歯みがきや散髪などは知覚過敏のせいでまだものすごく嫌がるけれど、「手がつけられない乱闘のよう」ではなくなり、生活全体が劇的にラクになってきた。一方で、情緒レベルのでこぼこのゆえか、下の子(3才)にすぐ暴力をふるう、拒否し続ける、いじわるし続ける、といった面が出てきて、最初の頃は「障害があるのだから、このくらいの未熟さは仕方ないか…」と思っていたけれど、どう考えても下の子に悪影響を与えているし、なまじっか言葉が立つものだから、狡猾な印象さえ出てきて、「我慢ならない!」という段に来ていた。いつも衝動的にぶったりつねったりするし、何度言っても改善するどころか、ふくれっ面や逆ギレばかりで反省の色もなし。そんな瞬間は、悲しいことに、我が子をもはや「可愛い子」とは思えなかった。彼のせいではないと分かっているのに、そして彼自身がいちばん大変なことを分かっているはずなのに、憎らしさばかりがこみ上げてきて(そうでない瞬間も多々あったのがせめてもの救いだったけれど)、当たり前だが、そんな自分が嫌だった。

そんな辛い状況を何とか突破する手段はほかに見つけたのだが(後日書きたいと思っています)、木村さんはそんな親でさえ、基本的な親としての義務―毎日ちゃんと風呂に入れてあげて、食事をつくってあげて、着替えをさせて洗濯もして―をはたしてさえいれば、「わが子を可愛く思う「義務」もない」と言っていて、これには正直心底救われる気がした。避けるべきは虐待のみ。とにかく、与えられたコマだって違うのだから、自分なりに努力し、できる範囲で工夫し、何とか等身大で前進していればいいのだと元気をもらった。

まだまだ不勉強だが、最近の療育の世界には本当に希望を感じる。いろいろなポジティブな可能性に満ちている気がするし、改めて、「自分も我が子も、良い時代に生まれた!!!」と思う。 

2016.05.13 Friday

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