2016.05.13 Friday

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2013.01.13 Sunday

小さな家

当地で唯一の「非・インド人」の友人、アメリカ人のスニタ夫妻の家に遊びに行く。夫婦ともにニューヨーク市立大学の先生で、研究のために1年間だけチェンナイに滞在している。お宅は緑の多い界隈にあり、広々として風通しも良く、実に気持ちが良い。「ニューヨークでは狭いマンションに住んでいるから、この家は「パレス」と呼んでいるの。いつでも遊びに来て、この家を有効活用して」とスニタ。

明るいバルコニーで、ゆったりと午後のお茶をたのしんでいると、階下のガレージ・スペースで貧しい子どもたちが遊んでいるのが目に入る。「彼らはこの家の敷地内に住んでいるんだ」とご主人のデービッドが低い声で言う。「この家の裏の隅に、狭い物置みたいな小屋があって、そこに住んでいるんだよ。窓もなくて、光も入らないような場所で、え、あんな場所に家族で住んでいるの?と驚いたら、屋根もきちんとあって、雨風しのげる良い家です、と言われてしまった」。現地語が話せるデービッドは、彼らとこんなコミュニケーションができる。「考え出すと絶望的な気持ちになってしまうから、普段はあまり考えないようにしているんだけど・・・」。見せてもらうと、デービッドの言う通り、「あっ」と息を呑むような小屋が邸宅の裏に潜んでいる。その中で営まれる生活は、もはや自分の想像などまったく及ばないところにある。

そんな印象的な出来事のしばらくあとのこと。帰宅すると、妻が声をひそめて言う―「うちの横のゴミだらけの敷地の物置、何だか人が住んでるみたいなんだけど・・・」。うちの横の敷地とは、以前のブログに写真も載せたことのある、文字通り、ゴミ溜めのようにゴミが散乱した空き地。そのいちばん奥の隅に、4畳半くらいの古い物置があるのだ。「まさか」と思ったけれど、翌日見てみると、たしかに5歳くらいの女の子がふらふらとゴミの敷地の奥を歩き回っており、洗濯物が干してある。衝撃で、オフィスに向かう間中、胸の動機が収まらない。水はどうしているのだろう。トイレはどうしているのだろう。食べ物はあるのだろうか。

心配した妻が近所の人に聞いてみると、みな裕福な家族だけに、「知らない」「関わらないように」と言う。買い物帰りに、女の子が柵の中からこちらを見ているので、果物を少しお裾分けしたら、すごくうれしそうな顔をした、と妻。見かねて、懇意にしているオートリクシャーの運転手に来てもらって、現地語を通訳してもらおうとしたら(その運転手だって、ほとんど英語が通じないのだけれど、とにかく)、何とこの一家はネパール人で、奥さんと子どもは現地語さえ話せないことが分かった(旦那さんは少し現地語ができるらしい)。コミュニケーションが成り立たないので、詳しい事情は分からないけれど、どうやら、そのゴミだらけの敷地が最近更地になり(ゴミを片づけずに、ゴミもろともブルドーザーで平らにしてしまった)、その土地の番人のような位置づけで「住み込みで」雇われることになったらしい。

いちおう電気は通っているらしいし、雇われているからには、どんなに安くてもとにかくお金をもらっているのだと分かり、すこし安心する。しかし、あんな場所に、周囲の人と言葉も通じずに住むというのは、一体どんなことなのだろう。デービッドの言葉から類推するに、きっと、スラムに比べれば、「屋根もきちんとあって、良い家」ということになるのかもしれない。そして実際、この数週間後、この家が全然条件の悪い家ではないのだと確信する機会に恵まれることになる。これについては次回。

 

2016.05.13 Friday

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