2016.05.13 Friday

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2012.01.27 Friday

社会を見るのに役立つ視点

今学期履修している環境倫理と環境規制。まだ2週目が終わったところだけれど、どちらもものすごく大きな学びになっている。

環境倫理の初回の授業。「たとえば、あなたが電車を運転していて、線路の上にひとが一人倒れているとしましょう。このまま行くとその人を轢いてしまいます。とっさに避けて、隣の線路に移れば、そこには五人の人が倒れていて、五人を殺すことになります。こんな時、どんな倫理に従って行動すればいいのでしょう?」というところから話は始まる。

「倫理には大きく二つの考え方があります。公益主義は、社会に最大の幸福をもたらす行動を善とします。もたらされる利益と、もたらされる損失を比べて、利益が多い方を選びます。一方、義務論は、もたらされる結果に関わらず、常に普遍的なモラルに従って行動することを善とします。たとえば、より多くの命を救えるとしても、殺人は絶対に許されないとする考え方です。さて、あなた方はどちらがいいと思いますか?」

自分は、これまで一年半、まさに公共政策大学院で「いかに社会に最大の幸福を実現すべきか」を勉強してきた身。迷いはありつつも、即座に「やっぱり公益主義で考えるべきでは?」と考える。クラスの大半も公益主義を、そして残る数人が義務論を支持する。みんなで、それぞれの一般的な長所と短所について議論する。ごくかいつまんで言えば・・・

公益主義は
/諭垢求めている(社会の幸福は人々の最大の関心事)
△任癲△修發修睛益と損失を正確に計ることなんてできない(不当な尺度で公益が計られている)
社会全体の幸福を優先するので、一部の人が不当な不利益を被る

義務論は
,澆鵑覆旅膂佞あればきわめて強力
△任癲△修發修眞がモラルを決めるのか、普遍的なモラルなんてあるのか
K召泙靴ない選択肢が並んだ場合(たとえば上の電車の例)、意思決定ができなくなる

・・・なるほど、と目から鱗が落ちるような気持ちだった。特に最後のについては、クラス内でも熱を帯びた議論が交わされた。曰く、「望ましくない選択肢だらけの現実の中で、より弊害の少ない選択をすることことそ、社会的責任では?」「そうは言っても、モラルに反することをするわけにはいかない」「みんながモラルに反することを放棄したら、社会の意思決定はどうなるのか?」etc.

「この授業の目的は、あなたたちがこれから環境をめぐる論議に関わったとき、「こちらの言い分が正しい」「こちらが間違っている」という地点を超えて、その背後にある倫理の不一致を読み取れるようになってもらうことです」と教授。たしかに、原発しかり、その他の環境問題しかり、今後の社会での異なる価値のぶつかり合いを見ていく上で、これは欠かせない視点だ。

一方、環境規制の授業の初回。「企業に環境規制を遵守させる場合、大きく3つのシナリオが考えられます。ヾ覿箸麓己利益のみを計算する高い生き物である。企業は妥当な規則にのみ従う政治的な生き物である。4覿箸狼則に従えない無能な生き物である。たとえば、,正しければ、政府は警察の役割を果たさなければならない。△正しければ、政府は懐柔策を取らなければならない。が正しければ、政府は教育者の役割を果たさなければなりません。」

「問題は、政府にはなかなか正解を知るすべがないことです。間違ったシナリオの上に立てば、当然、規制の施行は失敗します。それが世界の至るところで起こっています。」

・・・なるほど、その通り。環境規制だけでなく、あらゆる政策は、こうした側面を入念に踏まえた上で実行されなければならない。転じて、より良い政治を求める市民の側も、相手となる行政の真の姿を取り違えずに、声を上げていく必要がある。メディアの煽りの影響か、自分の周りでも、「行政=計算高い極悪非道人」説が多数を占めている気がする。それは本当だろうか?もし、の「行政=無能」説が正しかったとしたら?私たちは、本来「教育者」として行政に接するべきところ、「警察」のように接しているという可能性はないだろうか?

思いがけず、普遍的な示唆に満ち満ちた今学期の授業たち。これからの授業の展開がたのしみ。 

2016.05.13 Friday

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