2019.11.08 Friday

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2011.07.27 Wednesday

アメリカ流「しつけ」法

3月に自閉症の判定をしてくれたドクターが、「子どものかんしゃくにはぜひ試してみて」と薦めてくれた"1-2-3 Magic"(ワンツースリー・マジック)。実はあまり乗り気ではなかったのに(そもそも「しつけ」という概念が嫌い)、隣にいた教育委員会の女性課長が「どうぞ」と、とDVDまで貸し出してくれて、やらざるを得ない状況になってしまった。

半信半疑で取り組み始めて、すぐに「え、こんなに?」という効果が現れた。やりかたはすごく簡単で、子どもが問題行動をとった時、怒らず、騒がず、ただ短く「That's 1!」と言う(日本語だったら「1ですよ」とでも言えばよいのだろうか)。それでも収まらないとき、または別の問題行動をとったら、「That's 2!」と言う。さらに繰り返したときは、「That's 3! Take 5!」と言って、5分間ひとりで休憩させる。

目からうろこのポイントは、「絶対に怒らない」、さらに「何も言わない」ということ。「ごめんなさい」を言わせることさえしない(しない方がよい)。著者によれば、怒ったりお小言を言ったりするのは「子どもの思うツボ」なのだと言う。もちろん、意識の上で「怒ってほしい」と思っている子どもなんていないかもしれない。だけど、「湖に石を投げると波紋が広がって、子どもはわくわくする―それと同じように、問題行動をとると親が感情的に反応する。それは子どもの本能を刺激してしまうのです」と書いてあって(本は教育委員会に返却してしまったので、あくまで記憶の中の大意です)、個人的には「なるほど!!!」と思った。

5分間の休憩は、別室で行うのが基本。別名、「閉じ込める」とも言うかもしれない。でも、もちろん鍵も閉めないし、中では何をしていてもよい。おもちゃで遊んでも、歌をうたってもよい。とにかく5分間、誰ともしゃべらずにクールダウンする時間を設ける―ただそれだけ。

うちの子の場合、5分間のクールダウンはもちろん嫌がるけれど、それが終わって出てきたとき、わりにケロッとして、機嫌をなおすことが多い。そして何より、「That's 3!」になる前に、自分で気をつけて、相当な確率で防止するようになった。大人はついつい、くどくどとお小言を言い聞かせがちだけれど、著者によると「お小言は大抵の子どもには効き目なし」なのだそうだ。「子どもが「はい、そうですね」と言って変身するなどと思ってはいけない。子どもは大人ではないのです」(これも記憶の中の大意)。

親にとっては、ほんとうに簡単である。だって、何も言わず、何もせず、ただ「That's 1, 2, 3」と言っていればよいのだから。そして、感情的になる必要がないのが良い。子どもがクールダウンから戻ってきたとき、頭がかっかとしていないので、普通にやさしくできる。「お帰り」と言って、大切に迎えてやれる。

ひとつだけ引っかかったのは、「怒らずに黙って閉じ込める―それって、対話の拒否?親子のコミュニケーションの放棄にならないの???」ということ。これについてはいろいろな意見があると思うけれど、今のところの自分の印象としては、「1日のうち、1-2-3 Magicに頼るのはわずか数回。対話のチャンスは他にいくらでもある」。さらに、「1-2-3 Magicなどしなくても、親は(自分の場合は)しょっちゅう対話の拒否やコミュニケーションの放棄をして、険悪なムードを作り出している。だから、1-2-3 Magicで険悪な時間が大幅に減るのはとても良いこと」。

うちの子は、発達の遅れのせいか、知覚過敏のせいか、生まれたときから神経質かつ固執傾向があり、子育てのあらゆる場面で手を焼いてきた(とても素敵な子ではあるのだけれど!)。何をしても泣き止まない、抱っこしていないと眠らない、消耗戦のような乳児期を経て、連日繰り返される、度を超えたかんしゃく。ひどい時には自傷行為(床に頭を打ちつける、唇をかみ切る)。思い出すだけで冷たい汗が流れるような、修羅場の連続という時期もあった。こちらはもちろん神ではないので、ものすごいストレスに晒される日々だった。人に相談すれば「子どもなんだから普通のことよ」と言って理解されない(「普通じゃないんです!」)。いろいろな育児法や整体術などを試しても、なかなかうまく行かなかったり、効果が持続しなかったり、そもそも継続的に実践するのにものすごいエネルギーが必要だったり・・・。

さすがに理性はあるので、子どもに激しい暴力をふるったりしたことはないけれど、ニュースで聞く「虐待」を、決して「別世界の鬼畜の親がすること」などとは思えなかった。「報われる」よりは「疲れる」ことの多い子育てだったし(もちろん幸せな瞬間だってたくさんあったけれど)、子どもに向って憎悪を感じる瞬間も、認めたくはないけれど、一度ではなくあった。言葉が分かるようになってからも、感情的にお小言を言うことが多々あった。

発達遅滞の子どもに、虐待が目立って多い、というのは、統計的に既に明らかになっているらしい。あまり安易な一般化はすべきでないかもしれないけれど、あの追いつめられるような大変さは「経験した人じゃないと分からないよね」と、別の「大変な子ども」を抱える知人と話したことがある。虐待をする親をかばうわけではないけれど、もしその子が「大変な子ども」だったのだとしたら―と思うと、親と子の双方が気の毒で、やり切れない気持ちになる。

そんな思いは、2番目の(おそらくは普通の)子が生まれてから、確信に変わった。何という手のかからなさ!何もしなくても笑ってくれる!普通に寝てくれる!すぐに機嫌をなおしてくれる!・・・これで「イライラしろ」と言う方が無理だ―そう思うくらい、雲泥の差だった。同じ「泣く」でも、泣き方が違う。泣いたってかわいい。子育ての充足感ってこういうものなんだな、と初めて知った心持ちがした。

そのようなわけで、自分は、たぶん世間一般の人よりも「子どもにかっとなる親」に同情的だし、逆に、「子どもにかっとするなんて言語道断」「そもそも子どもの問題行動は親の責任」と言わんばかりのデキた親や専門家には反感を覚える。とは言え、親が子どもにかっとすることが良いことであるはずはないので、それを正当化できるわけではない。ただし、単に「かっとする親が悪い」ではまったく足りない。「どうすれば大変な子ども相手でもかっとせずに済むのか」―それが問題なのだ。それを切実に必要としている親が、意外とたくさんいるのではないかと思う。

この1-2-3 Magicは、それにひとつの有効な答えを与えている気がする。アメリカでも、注意欠陥多動性障害をはじめとする問題行動の存在は広く認識されている。多民族格差社会のアメリカ。偏見に聞こえるかもしれないけれど、日本などより遥かに、「未熟な親の虐待」のリスクは深刻だと思う。この国には、広く「親の愛や倫理」に期待している余裕はない。とにかく子どもを救うこと。そして、いちばん効率よく虐待を防止すること。「親を諭す」のではなく、言わば「親に逃げ道を与える」この1-2-3 Magicが、ここアメリカで提唱され、地元の教育委員会の蔵書にもあるくらい市民権を得ているのは、もしかしたら必然なのかもしれない。

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対象は「言葉が分かるようになる2歳から12歳まで」。読んだことはないけれど、日本語版も出ている模様。子どもの問題行動にイライラして困っている方がいたら、ぜひ試してみてください。 

2019.11.08 Friday

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